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Big Life21 2008年5月号


ハリマ梱包株式会社
「包装コンシェルジュ」の目指す未来

代表取締役 杉浦秀樹氏


本来は「重要な建物の門番」という意味をもつフランス語であるが、現在では「アパートの管理人」や「ホテル等の総合案内係」といった使われ方をしている「コンシェルジュ」。
ハリマ梱包株式会社は、自らを「包装コンシェルジュ」と銘打つ企業だ。
包装に関して絶対の自信をもつ同社を訪ね、若き3代目杉浦秀樹氏から半世紀以上におよぶ歴史と未来にかける思いをうかがった。



木材梱包業から次の一歩へ

神奈川県相模原市の南東に位置する地域、上鶴間。東側を流れる境川を挟み、東京都町田市と隣接している人口約2万3000人のこの町は、都心のベッドタウンとしても知られ、都内からの交通の便が良い一方で自然を多く残している。

そんなこの地で、梱包材一筋に歩む企業がある。それが、包装・梱包資材販売業を営むハリマ梱包株式会社だ。
「1952年に私の父の義兄、つまり伯父にあたる宮本寿夫が木材梱包業、『木箱を中心とした梱包』を行うために創業したのです。そのころは東京都内の品川、目黒を拠点としていたと聞いていますが、設立から10年後の1962年に本社と中心機能を神奈川県に移転しました」

そう語るのは、同社3代目代表取締役を務める杉浦秀樹氏。今年で40歳を迎える同氏にとって、それらの話はもちろん「初代と2代目、そして自分の母親から聞いたことですが」と笑う。続けて、杉浦氏は次のように説明する。
「創業者である伯父の急病に伴い、ともに経営をしていた私の父が2代目代表取締役を務めていたのですが、その父もいまから15年ほど前に突然倒れて。それがきっかけで私がハリマ梱包を任されることになったのです」

ハリマ梱包が創業した1952年ごろは「梱包材といえば木箱」といっても過言ではない時代。その流れは、多少の変動はあれど創業者の寿夫氏から杉浦氏の父である2代目の潔氏が引き継いだ時期まで続いた。だからこそ同社は、木材梱包の専門業者として長年、経験と知識を培ってこれたのである。

だが半世紀近くが過ぎ、ここ20年間で大きな変化が訪れた。梱包材も「より安く、より軽く、より丈夫で、かつ安全な材料」が求められ、ダンボールやプラスチックが登場すると、木材に変わって需要が急増したのだ。

顧客のほとんどが個人ではなく企業であるハリマ梱包にとっては、それは最大の転機となった。企業だあれば、なおさらコスト削減は絶対の課題だからである。すなわち「木箱は丈夫だがもっと安くできる業者があるのならそちらを選びたい」と思うのは当然の選択だ。

そして同社もそのニーズに応えるため、2005年ごろからプラスチックダンボール製の包装用ケースの取扱を拡大し、梱包材を「木材専門梱包業者」から「総合梱包業者」へと転進した。



「畑違い」を乗り越えて


前述のとおり、杉浦氏は前代表取締役の急病に伴いハリマ梱包に入社したことになったのだが、それまでは「家業を営むつもりなどまったくなかった」という。入社したのは潔氏が倒れた、いまから10年前の1998年。それまでは「銀行員。しかも、為替や金利等を扱う『ディーラー』でした」と照れくさそうに話す。

大学でも商学を学んでいた同氏にとって、幼いころから慣れ親しんできたといっても業種としてはまさに畑違い。だが、だからといって時間は止まってくれるわけではない。29歳で実家に戻り、ハリマ梱包に入社した同氏はそこから梱包について一から勉強を始め、そして約5年後には経営者となった。

「自分で決めたこととはいえ、就任した初めのうちは投げ出したいこともたくさんありました。もうどうなってもいい、と投げやりになってしまったり」と正直に語るが、その発言とは裏腹に様々な取り組みを開始。

「意外だと思われるかもしれませんが、この業種はわりと競争率が激しいのです。特に相模原市周辺だけでも5、6社は存在するのではないでしょうか。だからこの地域を中心に市場展開を図ろうと思っても、必然的に大口の取引先も限られてきてしまうのです。ましてや、その企業が拠点を移動させようとなれば一大事。打撃となるのは間違いありません」と杉浦氏。

バブル時期には一時的に売上事態は伸びたが、それ以上に人件費や土地などの経費が高騰。さらに最大の取引先であった機械工場などが近隣から撤退し、仕事は減る一方。同氏が入社したのは、バブル時期とその崩壊後の混乱の余波を残しつつあるころだった。

30歳代で突如、責任ある立場となった杉浦氏。だが、業種は違えどそれまで金融の世界で培った経験が同氏を支えた。ただ落ち込むだけではなく、現状を打開する方法を冷静に考え続けたのだ。

「まず最初に取り組み始めたのは、インターネットを利用した販売でした。実はこの周辺の企業や工場にはすべて足を運び、売り込みを行ったのですが、どこへ行っても門前払いをされてしまったのです。新たな顧客、新たなつながりを手に入れようにも実際に足を運ぼうとすれば限界がありますが、インターネットを経由すれば自分たちを必要とする顧客の方から、アクセスしてくれるのです」と杉浦氏。

やがてインターネットによる全国梱包ネットワーク「梱包ネット」を開設すると、プラスチックダンボール(プラダン)製品の「プラダンネット」、プラダンシートの製造、販売「プラダンシート館」、軽くて丈夫なプラスチック段ボール箱専門の販売サイト「プラダンボール箱ネット」などさまざまなサイトを開設した。



顧客第一主義が生む利益

「梱包ネット」をはじめ、ハリマ梱包が手がけるサイトは同社だけがかかわっているものではない。同様の悩みを抱えた日本全国の同業者との連携で、運営されている。簡単に説明すれば全国の機械メーカーから受注し、最寄りの業者が作業を担当するのだ。

「『プラダンネット』も同様です。現場を観察しているうちに、工場などでは相当なスペースを使って使用済みダンボールが山積みされていることに気付き、『これからを通い箱化すればトータルコスト削減を提案できるのでは』と考え、それが担えるサイトを立ち上げたのです」と杉浦氏。

杉浦氏は、自社内で設備を抱えずとも加工メーカーと連携することで顧客のニーズに最適な製品を提供するシステムを実現したのだ。それは、ハリマ梱包の「お客様は本当は何を求めているか。それに対し自社では何が提供できるか」という経営理念の一つからも分かるように、「自分たちのためだけではない。結果的に顧客のためとなること」なのである。

そして今年、杉浦氏は顧客のニーズに適確に対応するために新たな製品を開発、販売に踏み切った。それが樹脂製のダンボール「ダンビーズ」だ。従来の樹脂製ダンボールの厚さを40%薄くし、収納時の省スペース化を可能にした。湿気にも強く、衝撃吸収性に優れ、繰り返し使用できる上、紙製のダンボールに比べ、テープなどはがす際にもやぶれ等がないという優れた製品だ。

「さらに、大人2、3人で運べるくらいのサイズ、私たちでいえば『小物』を運びたいお客様向けとして「セルフ梱包」というサービスも開始した。通常はトラックを動かすと移動に費用がかかるわけですが、輸送費はどうしても高くなります。そこで、その分の費用を削減するにはトラックで移動しない、即ち梱包作業はお客様にしていただければ良い。そのためには『自分たちで安全に簡単に梱包できる資材を提供することだ』と思い付いたわけです」。

また、同製品は移動費用削減になることで、ハリマ梱包にとっても好結果を生むのだという。

自らを「包装コンシェルジュ」と呼ぶ同社。牽引する杉浦氏は、現在の抱負を、「3、4年後までに売上を2倍にします。この新製品はそれだけの利益を出してくれるはずなのですから」と微笑む。その笑顔からは感じられるのは「確かな自信」だけで、就任直後の不安は、いまやもう見えない。


2008年5月号  BigLife21より

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